« 2006年2月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月30日 (日)

エゴン・シーレ 22歳

エゴン・シーレ―二重の自画像から

『エゴン・シーレほど自画像に執着したアーティストはいない。そこはゴッホやゴーギャンよりも、写真家ロバート・メイプルソープを思わせる。』と、かの松岡正剛氏は記しています。

『自画像はデッサンを含めて一つとして似たものはないのにもかかわらず、そこにはどう見てもアンドロギュヌスがいっぱいあらわれている。そのアンドロギュヌスは当然に男であって女であるけれど、それとともに神であって人であり、少年と少女であり、男娼と娼婦であって、また着衣であって裸体の、性交と自慰の、二重化されつづけるアンドロギュヌスだった。』

しかし自画像を描きまくったからといって、シーレはべつだん自己表現なんてどうでもよかったのである。-とも。
   -エゴン・シーレ―二重の自画像

| | トラックバック (0)

2006年4月20日 (木)

28歳でこの世を去った男 エゴン・シーレ

エゴン・シーレ―ドローイング水彩画作品集

カフェ・ニヒリズム」といわれたCafé Museumにて、分離派の芸術家達が新しい時代の到来を語り合うその中に、「28歳でこの世を去った男 Egon Sceiele エゴン・シーレ」もいました。
   - エゴン・シーレ―ドローイング水彩画作品集

| | トラックバック (0)

2006年4月10日 (月)

エゴン・シーレの言葉

表現主義のオーストリアの画家 エゴン・シーレ 
「ぼくは人間である。ぼくは死を愛し、そして生を愛す。」 

「ぼくは思う。現代的な芸術などありはしない。 在るのはただ一つの芸術、永遠に続く芸術だけである」

「大人達は忘れてしまったのだろうか? 皆、自分達が子供だった頃、どれほど堕落していたかを。つまり、性の狂おしい衝動のためにいかに活気に溢れ、そして興奮させられていたかを」 

「どんな外套でぼくらの身を覆うとしても、それは結局 虚無を覆うことにしかならない。なぜならそのような外被は、身体の各器官と絡み合う欲望を持つかわりに、ぼくら自身をただ隠すことにしかならないのだから」 

「ぼくらは世界がかつて見たいちばん暴力的な時代に生きているんだ。-何十万という人間が哀れにも破滅していく-誰もが自分の運命を、生きながらあるいは死につつたえなければならない。-1914年以前のことは別世界のことなんだ。だらかぼくらは常に未来に目を向けて行くしかない。希望を持てぬ人間は死者の仲間に過ぎぬ。新しい生命を生み出すあらゆる事態に身を屈めて耐える心構えがぼくらには必要なのだ」

   -エゴン・シーレ―ウィーン世紀末を駆け抜けた鬼才

| | トラックバック (0)

2006年4月 1日 (土)

Egon Schiele Museum

Schiele2

EGON SCHIELE

EGON SCHIELE-MUSEUM

あのヒトラーと同じウィーンの美術学校をめざし、シーレは入学し画家となりますが、ヒトラーは合格できず独裁者への道を開きました。その美術学校とはウィーン美術アカデミーです。

追記:ヒトラーの絵は、300前後確認されているようで、9月には、「A Hitler」、「AH」などと署名された20数点が落札されたらしいですね。「プロオボスの教会」というのが高値がついたよう。国内のブログでは「ひどい絵」という眼識豊かな方々の記事が目につきますが、まさか、プロの画家と比べて?海外の記事の引用?

国内でも、美大に入学できず、その後は趣味で描いている素人の素晴らしいアマチュア作品もありますね。そういった属性もあります。

さて、ヒトラーの絵を飾る人間性はどうかな。ですから、当ブログも、ヒトラーの絵を引用したくないので、こちらから、2点ほどご覧頂けます。→Adolf Hitler - Wikipedia,

| | トラックバック (0)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年5月 »