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2007年4月 1日 (日)

19世紀の写真と絵画 オダリスク

Charles_jalabert_odalisque_1842_oil_on_c

シャルル・ジャラベール 「オダリスク」 1842年
カルカッソンヌ 市立美術館蔵

ふ~が、マネのオランピア、セザンヌのオランピア、ゴーギャンのマネ オランピア 模写をアップして、すっごく見ごたえがあって、ちょっと印象派たちに、私も熱い視線を送っています。

作品をみてください。オダリスクといえば、フランソワ・ブーシェやドミニク・アングルでおなじみだけれど、ジャラベールの作品は、「オリンピア」というタイトルでもいいですよね。

ふ~ の記事から引用すると

オランピアとは当時の娼婦によく使われた名前
(詳しくは下記リンクからどうぞ)

Yves Saint-Laurent Rive Gauche 
イヴ・サンローラン・リヴゴーシュ オランピア
ティツィアーノ ウルビノ(ウルビーノ)のヴィーナス
マネ オランピア/マネ オランピアの詩
(ザカリー・アストリュックの原文と訳)
ほか、寓意/オランピア ゴシップなど

ポール・セザンヌ オランピア
モデルヌ・オランピア 1873年 オルセー美術館
モダンヌ・オランピア 1869-70 個人所蔵
オランピアのもう一枚「ナポリの午後」など

ポール・ゴーギャン オランピア
マネ オランピア/ゴーギャン オランピア模写

オダリスクというのは、トルコ後宮(ハーレム)の女のことでしょう。アングルが描いた「奴隷のいるオダリスク」っていうのは、使える奴隷という身分のものに、さらに使えている女性たちがいるわけですか。楽師が弦をつまびいて、その奥にひっそり立っている黒人の女性。

世界中の奴隷市場から買われた女性たちが、イスラム教、音楽、ダンス、作法を仕込まれて、スルターン(スルタン 王族)らのお相手をする。そうして夜は愛の奴隷。寵愛を受ければ、そのスルターンの子を産むことが、オダリスクの最高の幸せです。

このハーレムが閉鎖になったのは、20世紀初頭です。ということは閉鎖から100年くらいしかたってないですよね。


Moulin_plate_from_etudes_photographiques

写真 ムーラン街 1853年 フランス国立図書館所蔵

ハーレムにいた女性達の閉鎖後の末路は哀れ。ハーレムダンスで稼ぐような生活です。写真は、モンマルトルの中心にあるムーラン街で、オリンピアのごとく黒人の女性と娼婦。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックが描いた「ムーラン街のサロン」は、娼館。卑しい職業とされていた踊り子、洗濯女、料理女、花屋の娘たち。貧しいから夜になると、売春婦。プロは娼婦で、階級もさまざま。

エミール・ゾラ
エミール・ゾラの「居酒屋」から、当時のフランスの社会を記事にしています。

ナナの誕生 ドミ・モンド
エミール・ゾラの「居酒屋」で、娘だった「ナナ」の話です。マネの絵画作品から、当時の娼婦の制度なども書かれています。

結局、ナナは、高級娼婦までのぼりつめるけど、梅毒で死んでしまう。

私にとって、オダリスクもオランピアも同じテーマを持っていると思っています。現代は、平等の名のもとに、職業の貴賎はない。建前は。

こういった種類の作品を、こぞって描きだしたわけですね、画家達は。

ゴーギャンは、模写ですから、マネのオランピア(1863年)とセザンヌのオランピア(1873年)に限ると、ティツィアーノのウルビーノのヴィーナス(1538年)の、ヴィーナスと称する女性は、眠れるヴィーナスではなく、目をしっかり開け、横たわる女性。このスタイルが、マネやセザンヌもインスピレーションを受けたのかもしれませんが、私は、黒人女性の存在が、とても大きな意味を持っていると思うのです。

階級差別と、決して幸せにはなれない女性達の作品。

1853年の写真。印象派の作品から抜け出したよう。二人の一生はどうだったのだろうと考えてしまう1枚。

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